天皇陛下 ほっこりエピソード

・高三時に警備の目を盗んで友達と銀座の町をぶらついた「銀ブラ事件」(後に友達は警察と皇室関係者に執拗に叱責された)
・実は学習院大学中退(外遊で単位不足になり、でも同級生と別れたくないので聴講生に)
・若い頃には友達のアルファロメオ・1900を運転した
・カナダの空軍基地で軍用機のコクピットに座ったことがある
・寄贈されたミシシッピ川水系原産のブルーギルを持ち帰り、実は生態系を乱してしまい「今このような結果になったことに心を痛めています」と反省
・魚類学者でハゼの分類学的研究者で、一流学者に「帝としてはどうか知らないが、学者としては一流だ。」と評価された
・好きなテレビ番組は暴れん坊将軍
・東日本大震災では「国民と困難を分かち合いたい」と皇居は停電時間に合わせ電源を落とした
・即位後ずっと愛車のホンダ・インテグラに皇居内で乗っていた
平成25年12月23日
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
平成30年12月20日
「明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」